神社には鎮守の杜という森があります。本殿の後ろにあったり本殿が杜のなかに建っています。元々は山や森が御神体として祀られていました。その後に人が神として祀られる様になったのです。現人神という言葉がある様に。そして社殿が建てられる様になりました。
明治時代に廃仏毀釈が行われた事は有名ですが、その後に神社合祀という事が行われました。この時に多くの神社が無くなりました。と同時に神社にあった鎮守の杜が無くなる、小さくなるという事が起きたのです。私の通っていた小学校の隣には神社がありました。小高い丘の上に小学校がありその麓に神社がありました。鎮守の杜もしくは御神体が学校になったのです。小学校の正門とは違う門から降りる道は神社と接していました。まだ残る鎮守の杜は鬱蒼として何か近寄り難い氣配がありました。
また戦後になると鎮守の杜が伐採され開発をされ更に消えていったのです。
何故神社に杜が必要であったのか?多くの神社は山の麓にあります。山の頂にある神社や平地にある神社、海岸線にある神社もあります。それらの神社はそれぞれお祀りする神様が違います。海岸線に近い神社は海に関わる神様をお祀りしています。
ほんの百年ほど前まで日本の人口の90%以上が農家でした。そうすると必然的にお祀りするのは五穀豊穣の神様です。日本では農地の中で水田が圧倒的に多い事は景色をみれば自明の事です。
鎮守の杜と五穀豊穣。
水田には栄養分豊富な水が必要です。栄養分豊富な水は森が作ります。あめが降り、森の肥沃な土壌を通り川になりその水が田畠を潤す。水田は水から栄養分を得るので連作障害が起こらないのです。その水の栄養分を供給するのが森です。ですから五穀豊穣には森が必要。鎮守の杜は物理的に五穀豊穣をもたらしていたのです。良い水源となる森を見つけその周りを開発し、その森を鎮守の杜として祀る。時代によってはその指揮をした人を神として祀る。その時代には神の声が聞こえていた人がいたとされています。モーゼの脱エジプト記の様な守イメージです。の杜と五穀豊穣は切っても切れなかったのです。